承久の乱
後鳥羽上皇が幕府打倒を図って挙兵。北条義時を中心とする幕府軍が京都へ進撃し、朝廷側を破った。
鎌倉時代から明治維新・戊辰戦争まで。日本各地で起こった主要な戦いを時代順にたどります。
城は、合戦や政争、地域支配の拠点として歴史の転換点にたびたび登場します。このページでは、鎌倉時代以降から戊辰戦争終結までの主要な合戦・戦乱を選び、年代、場所、主な勢力、結果を簡潔に整理しました。
※すべての小規模戦闘を網羅したものではありません。合戦の呼称・年代・評価・勝敗には史料や研究によって異なる見解があるため、一般的な理解をもとに簡潔にまとめています。
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後鳥羽上皇が幕府打倒を図って挙兵。北条義時を中心とする幕府軍が京都へ進撃し、朝廷側を破った。
元軍が対馬・壱岐を経て博多湾へ来襲した、いわゆる元寇の第一度目の侵攻。日本側は九州の御家人を中心に迎撃した。
元寇の第二度目の侵攻。日本側は石築地などで防備を固め、元軍は長期戦の末に撤退した。
後醍醐天皇の倒幕運動から全国へ広がった争乱。足利尊氏や新田義貞らの離反も重なり、鎌倉幕府の滅亡につながった。
倒幕計画が露見した後醍醐天皇が笠置山に立てこもった戦い。幕府軍の攻撃で陥落し、天皇は捕らえられた。
楠木正成が千早城に籠もり、大軍の幕府軍を長期間足止めした攻防。各地の反幕府運動を勢いづけた。
鎌倉を目指す新田義貞軍と幕府軍が武蔵国で激突。新田軍は一度後退した後に態勢を立て直し、鎌倉への道を開いた。
新田義貞軍が鎌倉へ侵攻し、北条高時らが自害。約150年続いた鎌倉幕府が滅亡した。
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北条高時の遺児・時行が鎌倉を一時奪回した反乱。足利尊氏が東下して鎮圧し、その後の建武政権との対立につながった。
建武政権と対立した足利尊氏が、新田義貞らの追討軍を箱根・竹ノ下周辺で破った。
九州へ落ちた足利尊氏が勢力を立て直す契機となった戦い。勝利後、尊氏は再び東上した。
九州から東上した足利尊氏軍と朝廷方が激突。楠木正成が戦死し、足利方が京都へ進む大きな転機となった。
南朝の北畠顕家が率いる軍勢と足利方が戦い、顕家が戦死した。
楠木正行が高師直率いる北朝軍と戦い、敗死した南北朝期の代表的な合戦。
室町幕府内部で起きた大規模な内紛。南朝も巻き込み、全国の武士勢力の対立が複雑化した。
南朝方が鎌倉を占領した後、足利尊氏が武蔵野一帯で反撃し鎌倉を奪回した一連の戦い。
九州の南朝勢力と北朝方が筑後川流域で激突した大規模戦。南朝方が優勢となった。
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勢力を拡大した山名氏を三代将軍足利義満が討伐した争乱。山名氏の勢力は大きく削減された。
大内義弘が堺で挙兵し足利義満に反抗したが、幕府軍に包囲され敗死した。
鎌倉公方・足利持氏と関東管領上杉憲実の対立から発展した争乱。持氏は敗れて自害した。
結城氏朝が足利持氏の遺児を擁して結城城に籠城。幕府軍の攻撃で落城した。
六代将軍足利義教が赤松満祐に殺害された事件から始まり、幕府軍が播磨へ進攻して赤松氏を討った。
関東を二分した長期の争乱。足利成氏が古河を拠点としたことで「古河公方」が成立し、戦国期関東の勢力図に大きな影響を与えた。
将軍継嗣や守護大名間の対立が京都で大規模な戦乱に発展。各地の争乱を促し、戦国時代へ向かう契機となった。
畠山氏の内戦に苦しんだ山城国の国人らが両軍を国外へ退去させ、約8年間にわたり自治的な支配を行った。
長享の乱に続く関東の上杉氏内部抗争の一戦。伊勢宗瑞(北条早雲)も扇谷上杉方として参戦した。
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下総国府台で北条氏綱が小弓公方足利義明らを破った。義明は戦死し、小弓公方勢力は衰退した。
後北条氏が河越城を包囲する両上杉氏・古河公方勢を破った合戦。「河越夜戦」の名で知られる一方、夜戦の実態や兵力数には諸説があり、近年は「河越合戦」とする慎重な表記も紹介されている。
河越合戦を詳しく読む →武田晴信(信玄)が村上義清に敗れ、板垣信方・甘利虎泰ら有力家臣を失った。
武田軍が砥石城攻略に失敗し、退却時にも大きな損害を受けた戦い。
毛利元就が厳島へ誘い込んだ陶晴賢軍を急襲して破り、中国地方での勢力拡大につなげた。
美濃の斎藤道三と子の義龍が争い、長良川で激突。道三が敗死した。
尾張へ侵攻した今川義元を織田信長が破り、義元が討死。信長躍進の契機となった。
川中島で行われた一連の対陣の中で最大規模の激戦。双方に多くの死傷者が出た。
国府台周辺で後北条氏と里見氏が再び激突。北条方が勝利して下総方面への影響力を強めた。
織田信長が斎藤氏の本拠・稲葉山城を攻略。城を岐阜城と改め、美濃を支配下に置いた。
小田原から甲斐へ撤退する武田軍と北条軍が三増峠で激突。激戦ののち武田軍は甲斐へ帰還した。
越前へ侵攻した織田信長が浅井長政の離反により挟撃の危機に陥り、京都方面へ撤退した。
近江の姉川で織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が激突した。
摂津で三好三人衆を攻めた織田軍に本願寺勢力も加わり、浅井・朝倉軍の動きもあって信長は撤退した。
織田信長と石山本願寺が約10年にわたり戦った長期戦。海上補給をめぐる戦いも続き、最終的に本願寺側が大坂を退去した。
日向南部の木崎原で島津義弘が伊東氏の大軍を破った戦い。
西上する武田信玄軍を徳川家康が浜松城から出撃して迎撃したが大敗した。
足利義昭が槇島城で織田信長に抵抗したが敗北。義昭は京都を追放され、室町幕府は事実上終焉した。
長篠城救援をめぐり両軍が激突。武田軍は多数の有力武将を失い大きな打撃を受けた。
石山本願寺への補給を阻止しようとした織田水軍が毛利水軍に敗れ、海上補給が続いた。
北陸で上杉謙信と織田方の軍勢が対峙し、上杉方が優勢となったと伝わる。
日向で島津氏が大友氏の大軍を破り、九州南部の勢力図を大きく変えた。
上杉謙信死後の家督をめぐる内乱。景勝が勝利し、越後の上杉家を継承した。
織田・徳川らが武田領へ一斉侵攻し、高遠城などを攻略。武田勝頼は天目山で自害し武田氏が滅亡した。
明智光秀が京都の本能寺にいた主君・織田信長を襲撃。信長と嫡男信忠が倒れた政変。
本能寺の変後、中国地方から急行した羽柴秀吉が明智光秀を破った。「中国大返し」に続く決戦。
本能寺の変後、上野を支配していた滝川一益と後北条氏が神流川周辺で激突した。
武田氏滅亡と本能寺の変後、旧武田領をめぐって徳川・北条・上杉などが争った。
織田政権後継をめぐる対立から羽柴秀吉と柴田勝家が激突。秀吉の優位が決定的になった。
尾張を中心に続いた長期の対陣。長久手では徳川軍が勝利したが、政治的な交渉により戦いは終結した。
島原半島で龍造寺軍が島津・有馬連合軍に敗れ、龍造寺隆信が戦死した。
秀吉が四国へ大軍を送り、長宗我部元親を降伏させて四国を統一政権下に組み込んだ。
上田城を攻めた徳川軍を真田昌幸が撃退。真田氏の名を高めた戦い。
伊達政宗と佐竹氏を中心とする連合軍が激突。伊達軍は苦戦したが、連合軍も撤退して決着には至らなかった。
九州平定に先立ち、仙石秀久・長宗我部元親ら豊臣方先遣軍が島津軍に敗れた。
伊達政宗が蘆名氏を破り、会津支配を実現した南奥羽の大決戦。
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豊臣秀吉が全国規模の軍勢で後北条氏を包囲・攻略。小田原開城後、秀吉の全国統一がほぼ完成した。
小田原征伐の一環として豊臣方が忍城を包囲。水攻めも行われたが城は落ちず、本城小田原の降伏後に開城した。
小田原征伐の一環で八王子城が大軍に攻められ、激戦の末に落城した。
関ヶ原本戦に先立つ攻防。鳥居元忠らが籠城して西軍を足止めしたのち落城した。
関ヶ原直前、西軍が大津城を包囲。城は開城したが、西軍の一部を本戦から遅らせる結果となった。
関ヶ原へ向かう徳川秀忠軍が上田城を攻めたが攻略できず、秀忠軍は本戦に間に合わなかった。
関ヶ原の東北方面で起きた攻防。直江兼続軍が長谷堂城を攻めたが、関ヶ原本戦の報を受け撤退した。
天下の主導権をめぐる東西両軍の決戦。徳川家康率いる東軍が勝利し、のちの江戸幕府成立へつながった。
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徳川方が大坂城を包囲。真田丸などで激戦となったが、最終的に講和が成立し外堀などが埋められた。
大坂冬の陣で真田信繁が築いた出丸「真田丸」をめぐる攻防。徳川軍に大きな損害を与えた。
冬の陣後に再び開戦し、野戦で決着。大坂城が落ち、豊臣秀頼・淀殿が自害して豊臣氏が滅亡した。
大坂夏の陣の一戦。後藤基次(又兵衛)が戦死し、豊臣方は後退した。
大坂夏の陣の最終決戦。真田信繁ら豊臣方が突撃したが敗れ、大坂城落城へ至った。
重い年貢や宗教弾圧などを背景に起きた大規模一揆。一揆勢は原城に籠城し、幕府軍の総攻撃で鎮圧された。
交易や漁場をめぐる対立を背景にアイヌ側の大規模な蜂起が起こり、松前藩が鎮圧した。
場所請負制下の不満などを背景に国後・目梨地方で起きた蜂起。松前藩側によって鎮圧された。
元大坂町奉行所与力の大塩平八郎が、飢饉下の救民を掲げて挙兵。市中で戦闘となったが短期間で鎮圧された。
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生麦事件をめぐる交渉決裂からイギリス艦隊と薩摩藩が交戦。双方に被害が出たが、その後は関係改善が進んだ。
京都で長州藩勢力が御所周辺へ進攻したが、会津・薩摩などの守備側に敗れた。蛤御門の変とも呼ばれる。
攘夷を実行していた長州藩の砲台を四国連合艦隊が攻撃し、下関の砲台を占領・破壊した。
幕府による再度の長州攻撃。各方面で長州藩が善戦し、将軍家茂の死もあって幕府側は停戦へ向かった。
京都南郊で新政府側と旧幕府側が武力衝突し、戊辰戦争が始まった。旧幕府軍は大坂方面へ退却した。
江戸へ向かう新政府軍を甲陽鎮撫隊が勝沼で迎撃したが敗れ、部隊は潰走した。
旧幕府軍が一時宇都宮城を占領したが、新政府軍の反撃で奪回された。
上野寛永寺周辺に立てこもった彰義隊を新政府軍が攻撃し、短時間の激戦で鎮圧した。
東北戦線の要衝・白河をめぐる攻防。新政府軍が白河を掌握し、その後の東北進攻の足掛かりとした。
長岡藩を中心に北越で展開された戊辰戦争の戦線。長岡城をめぐって激しい攻防が続いた。
河井継之助率いる長岡藩と新政府軍が長岡城をめぐり攻防。城は一度奪回されたが、最終的に新政府軍が掌握した。
奥羽越列藩同盟側の二本松藩が新政府軍と戦い、二本松城が落城した。
会津への東の入口・母成峠で新政府軍が会津側の防衛線を突破し、若松城下へ進撃した。
若松城を中心に約1か月にわたり籠城戦が続いた戊辰戦争の主要戦線。会津藩の降伏で東北戦争は大勢が決した。
榎本武揚ら旧幕府勢力が箱館を占拠して政権を樹立。翌年、新政府軍の攻撃で降伏し戊辰戦争が終結した。
箱館政権側が新政府の装甲艦「甲鉄」の奪取を狙って奇襲した海戦。作戦は失敗した。
箱館戦争の最終局面。五稜郭周辺の防衛線が崩れ、榎本武揚らが降伏して戊辰戦争が終わった。
主要な合戦・戦乱の選定と年代整理には、日本史年表・合戦事典類に加え、国立公文書館「公文書にみる日本のあゆみ」「激動幕末」、国立国会図書館の所蔵資料案内などを参照しています。特に戊辰戦争については、国立公文書館が鳥羽・伏見の戦いから明治2年の箱館での降伏までを一連の戦争として解説しています。