城の歴史
南北朝から室町期に長沼氏の山城として築かれたと伝わる。
永正18年(1521年)長沼氏は会津黒川城主・蘆名氏と争い鴫山城を奪われ、16世紀半ばに蘆名氏に臣従する事となった。
天正17年(1589年)摺上原の戦いで伊達政宗によって蘆名氏が滅亡、鴫山城主・長沼盛秀は伊達氏に臣従し、伊達勢とともに河原田盛次が守る久川城を攻撃している。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の奥州仕置により長沼氏は伊達氏に従って鴫山を退去、鴫山城には蒲生氏郷家臣・小倉行春が入城した。
その後、上杉氏が会津領主となると鴫山城には上杉景勝の執政・直江兼続の弟・大国実頼が城代として入城したが、関ヶ原合戦後に蒲生秀行が会津領主となると、再び小倉行春が城代となった。
寛永4年(1627年)加藤嘉明が会津領主となった際に廃城となった。












