城の歴史
平安時代末期に始まる頼季流信濃源氏の有力武士団である高梨氏の居館であった。
戦国初期、中野氏を滅ぼした高梨政盛がこの地に居館を建て始め、孫である政頼の代に完成したといわれる。
永禄2年(1559年)3月、北信濃に勢力を伸ばす甲斐武田氏の海津城代・春日虎綱(高坂昌信)の攻撃により高梨館は陥落、根拠地を追われた政頼は飯山城に後退を余儀なくされ、以後の高梨氏は独立国人領主としての力を失い、越後の上杉謙信を頼らざるおえなくなった。
天正10年(1582年)武田氏の滅亡、本能寺の変を経て天正壬午の乱が勃発すると、北信濃は上杉氏の支配下となり、政頼の子・高梨頼親は旧領中野郷を回復したが、慶長3年(1598年)上杉景勝の会津移封に同行したため、高梨館は廃された。
















