城の歴史
北条氏康に関東を追われ越後に逃れてきた関東管領・上杉憲政の為に長尾景虎(後の上杉謙信)が造営した。
永禄4年(1561年)憲政から上杉の名跡と関東管領職を譲受けた景虎は、上杉政虎と名を改め、この館を政庁として使用した。
天正6年(1578年)関東出兵の準備を進めていた上杉謙信が春日山城内で急死、謙信の養子である景勝(実父・長尾政景)と景虎(実父・北条氏康)が家督を巡り対立、景勝は軍事拠点の春日山城を、景虎は政治拠点の御館を押えた。
天正7年(1579年)景勝は御館の総攻撃を開始、御館は方々に放火され落城したが、景虎は館を脱出して逃亡、味方の城である鮫ヶ尾城に寄った所を景勝方に寝返った城主・堀江宗親に攻められ自害した。






