城の歴史
長禄元年(1457年)古河公方・足利成氏と争っていた扇谷上杉氏の上杉持朝は、家宰の太田道真・道灌父子に命じ、河越城を築城させた。
河越城は古河城・関宿城・忍城などの足利氏勢力に対抗するための扇谷上杉氏の本拠地として上杉持朝が入城し初代河越城主となった。
天文6年(1537年)武蔵に進出した相模の北条氏綱は、扇谷上杉氏の本城・河越城を攻略、扇谷上杉朝定は敗走して、以後は松山城を居城とした。
天文14年(1545年)扇谷上杉朝定は北条氏に奪われた河越城を奪還すべく山内上杉憲政・古河公方足利晴氏と同盟し古河公方・関東管領の威光により周辺武士を糾合すると大軍をもって北条綱成の守備する河越城を包囲した。
天文15年(1546年)4月、北条綱成は大軍に囲まれながらも半年に及ぶ篭城戦に耐え、ついに後詰に駆けつけた北条氏康の夜襲により包囲軍は大混乱に陥ると扇谷上杉朝定が討取られるなど大敗を喫し、扇谷上杉氏は滅亡、山内上杉氏、古河公方足利氏は衰退の一途を辿る事となる。
戦後、河越夜戦で扇谷上杉朝定を相手に戦功を挙げた、北条氏重臣・大道寺盛昌が河越城の城代となり、以後北条氏支配時代は大道寺家が城代を務めた。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐の際に、豊臣方の前田利家の率いる北国勢に囲まれ降伏、開城した。
徳川家康の関東入封に伴い、徳川氏譜代筆頭の酒井重忠が一万石を与えられ河越城に入城し川越藩が立藩した。
その後、川越城主は徳川譜代の家臣が務め、明治6年(1873年)松井松平家・松平康載の時に、廃城令によりその幕を閉じた。









