城の歴史
文明8年(1476年)関東管領山内上杉氏の家宰・長尾景信の嫡男・長尾景春により築城された。
文明10年(1478年)扇谷上杉氏の家宰・太田道灌に攻められ鉢形城は落城、関東管領・上杉顕定の居城となった。
永正7年(1510年)関東管領・上杉顕定の死後、古河公方・足利政氏の次男で上杉顕定の養子となっていた上杉顕実は、山内上杉家の家督と関東管領職を継いだが、同じく顕定の養子であった上杉憲房と対立した。
顕実は実父・古河公方足利政氏に支援を求め、憲房は政氏嫡子・足利高基を味方につけて対抗したため関東を二分する争いとなった。
永正9年(1512年)顕実が篭る鉢形城は憲房の軍勢に包囲され落城、顕実は政氏を頼って逃亡した。
天文15年(1546年)小田原北条氏3代当主・北条氏康が扇谷上杉朝定・山内上杉憲政・古河公方足利晴氏を河越夜戦により敗走させ、北条氏の武蔵国における覇権を確立した。
山内上杉氏家臣・藤田重利は鉢形城・天神山城を領していたが、北条氏康の攻撃を受けると降伏し北条氏の家臣となり、氏康四男・氏邦に娘・大福御前を娶らせ、藤田氏の家督を譲った。
永禄7年(1564年)藤田氏邦は居城を天神山城から鉢形城へ移し、北関東支配の拠点として大規模な城郭の整備・改修を行った。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐により、三千の兵が篭る鉢形城は、豊臣秀吉方の前田利家・上杉景勝の北国勢を主力とする三万五千の大軍に包囲され、約一ヶ月に及ぶ籠城戦の末、城主・氏邦は降伏し開城した。
戦後、徳川家康の関東入討に伴い、鉢形城は廃城となった。























