城の歴史
南北朝時代、越後南朝方の中心勢力・大井田氏の本拠であった。
新田氏の支族で里見義成の二男・義継は越後国波多岐荘大井田郷を領し、大井田姓を称するようになった。
元弘3年(1333年)宗家の新田義貞が上野国で鎌倉幕府討伐のために挙兵すると、真っ先に馳せ参じたのは大井田経隆を首領とする越後の新田氏一族であった。
これ以後、大井田氏などの越後新田支族は、建武の新政から南北朝時代の動乱期に南朝方として各地に転戦し勇名を轟かせたという。
戦国時代、大井田氏は近隣の上田長尾氏との関係を深め、当主・大井田氏景は長尾政景の弟・景国を婿養子として迎えた。
上杉景勝の幼少時には氏景の弟が守役を務め、景勝が上杉家当主となると、大井田景国と子・基政は景勝の側近として仕えた。
天正18年(1590年)景国は上杉景勝より切腹を命じられ自害、子・基政は他家預かりとなり大井田氏は改易となった。
その後、大井田氏の名跡を親族の島倉俊継が継承し、以降は米沢藩士として存続した。














