城の歴史
1180年頃、源頼朝に従った下河辺行平が古河の立崎に築いた館が古河城の発祥と伝わる。
享徳3年(1455年)第5代鎌倉公方足利成氏は関東管領上杉氏と争い、翌年に今川範忠が鎌倉を占拠すると成氏は下総国古河に本拠を移し古河公方と呼ばれた。
室町幕府も関東管領上杉氏を支持しており、新たな鎌倉公方として第6代将軍足利義教の次男・足利政知(堀越公方)を下向させ、以後30年近く両勢力は争い続けた。
古河公方は代々、約130年間引き継がれ、古河は室町後期から戦国時代には関東の中心の一つとなった。
永禄年間には越後国春日山城の上杉謙信と相模国小田原城の北条氏康が公方擁立争いのために古河城の争奪戦を繰広げ、謙信を支援する関白・近衛前久が滞在した。
その後、北条氏の関東支配が確定的になり、古河公方も次第にその支配体制の一部に組み込まれると、古河城は北条氏の支城となった
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐により北条氏は没落、関東に入封した徳川家康に従って小笠原秀政が古河城主となると近代城郭としての整備が進められた。
以後、江戸時代には古河藩庁が置かれ、多くの譜代大名が入れ替わりで城主を務めた。
明治6年(1873年)政府の廃城令により取り壊しが決定、翌年に破却された。








