城の歴史
築城時期など詳細は不明だが、武田家臣・真田幸隆の嫡男・真田信綱が築き、真田氏の平時の居館として使用されていたと伝わる。
天正3年(1575年)真田氏は長篠・設楽ヶ原の戦いで幸隆の嫡男・信綱、次男・昌輝が相次いで討死し、以後は武藤家を継いでいた三男・昌幸が真田家の家督を相続、真田氏館に入ったと考えられます。
天正13年(1585年)昌幸は上田城を築くと居を移したため、真田氏館はその役目を終えた。
昌幸は真田氏館跡に皇大神宮を建立したため館跡は荒廃を免れた。
(さなだしやかた)
訪城時の記録をもとに、所在地・史跡情報・現地の見どころをまとめています。

築城時期など詳細は不明だが、武田家臣・真田幸隆の嫡男・真田信綱が築き、真田氏の平時の居館として使用されていたと伝わる。
天正3年(1575年)真田氏は長篠・設楽ヶ原の戦いで幸隆の嫡男・信綱、次男・昌輝が相次いで討死し、以後は武藤家を継いでいた三男・昌幸が真田家の家督を相続、真田氏館に入ったと考えられます。
天正13年(1585年)昌幸は上田城を築くと居を移したため、真田氏館はその役目を終えた。
昌幸は真田氏館跡に皇大神宮を建立したため館跡は荒廃を免れた。












