Castle record

岩槻城

(いわつきじょう)別称:岩付城・岩附城・白鶴城・浮城

Castle information

岩槻城の基本情報

訪城時の記録をもとに、所在地・史跡情報・現地の見どころをまとめています。

所在地
埼玉県さいたま市岩槻区太田
史跡指定
県指定史跡
現在の状態
本文・写真で現地の様子を紹介
主な遺構
土塁・空堀・曲輪
主な見どころ
三ノ丸藩主居宅の長屋門「黒門」/伝・岩槻城裏門/菖蒲池に架かる朱色の八ッ橋
訪城写真
10枚掲載
三ノ丸藩主居宅の長屋門「黒門」
三ノ丸藩主居宅の長屋門「黒門」

城の歴史

文明10年(1478年)享徳の乱の際、関東管領山内上杉氏側から古河公方側に寝返った忍城主・成田正等の築城と伝わる。
文明11年(1479年)正等は長尾景春の乱で敗北、扇谷上杉家家宰・太田道灌の仲裁により降伏が認められると、山内上杉家家宰で総社長尾氏当主・長尾忠景の三男・景泰を養子として迎え、翌年には成田家の家督を譲って隠居した。
明応6年(1497年)頃、景泰は主君の関東管領・上杉顕定より「顕」の一字を与えられ「顕泰」と改名した。
永正6年(1509年)永正の乱で敗れた顕泰は忍城に移り、古河公方奉公衆・渋江氏の居城となった。
大永4年(1524年)2月、扇谷上杉家に仕えていた太田資頼は、扇谷上杉家当主・上杉朝興の居城・江戸城を陥落させた相模の北条氏綱に寝返り、城主・渋江右衛門大夫を討ち取って岩付城を奪取した。
しかし7月、扇谷上杉氏の援軍として甲斐武田家当主・武田信虎の軍勢が岩付城に攻め寄せると資頼は降伏し扇谷上杉氏に帰参する。
北条氏綱は再び岩付城の調略に乗り出し、太田資頼の家臣・渋江三郎を内応させ岩付城を攻囲した。
資頼も北条勢に戦死者3千余の損害を与えるなど奮戦したが、大永5年(1525年)2月6日、遂に持ち堪えられなくなり城を放棄し、足立郡石戸城に撤退した。
享禄4年(1531年)太田資頼が岩付城を攻め、9月24日に城主・渋井三郎を討ち取り城を奪還、岩付太田氏の居城となった。
天文2年(1533年)資頼が隠居し、嫡子・資顕が岩付太田家の家督を継ぐと、資顕と不仲であった弟・資正は舅の難波田憲重の居城・武蔵松山城に身を寄せた。
天文15年(1546年)4月、河越城を大軍勢で包囲していた扇谷上杉家・関東管領山内上杉家・古河公方足利家の関東連合軍は河越夜戦によって壊滅的な損害を受け、扇谷上杉家の当主・上杉朝定が討死し、扇谷上杉家は滅亡した。
扇谷上杉家に属していた岩付城主・太田資顕は、この合戦の寸前に北条氏康の調略に乗り参陣しておらず、主家滅亡後は北条氏の家臣となった。
天文16年(1547年)10月に資顕が死去すると、反北条勢力の弟・太田資正が岩付城を攻め落とし、岩付太田氏の家督を継承、岩付城主となった。
北条勢もすぐに反撃に転じ、武蔵松山城の上田朝直が北条方に寝返り、岩付城も包囲されたため天文17年(1548年)1月には北条氏に降伏しその配下となったが、北条家も名門太田氏の末裔である資正に配慮して、古河公方・足利義氏の家臣として処遇し、資正の嫡男・資房には北条家の当主・氏康の娘を娶らせた。
永禄3年(1560年)越後の長尾景虎(上杉謙信)が大軍を率いて関東に出兵すると、資正もこれに従い北条家から離反し、長尾軍の先鋒を務めた。
永禄7年(1564年)同盟を結ぶ安房里見氏と第二次国府台合戦で北条軍と戦うも敗北を喫した資正は、7月に親北条の立場であった嫡子・資房によって、岩付城から追放された。
岩付太田市の家督を奪い取った資房は、北条氏康から「氏」の一字を与えられ「氏資」と名を改めた。
永禄10年(1567年)三船山の戦いで氏資が戦死、氏資には男子がいなかったため、岩付城は北条氏の直轄となった。
天正8年(1580年)北条氏政の子・源五郎が氏資の娘と婚姻し岩付太田氏の家督を継承、城主となったが天正10年(1582年)7月8日、若くして死去したために弟・北条氏房が遺領を継いで城主となった。
天正18年(1590年)関白・豊臣秀吉による小田原征伐の際、北条氏本拠・小田原城詰めとなった城主・氏房は、家老・伊達房実を岩付城の守将として2000の兵とともに籠城させた。
5月19日、岩付城には豊臣軍の浅野長吉・本多忠勝等が率る約2万の大軍が攻め寄せ、城兵の死傷者も1000人余となったため、房実は5月22日に降伏し開城した。
天正18年(1590年)8月、秀吉の命により関東に入府した徳川家康に、武蔵岩付2万石の所領を与えられた譜代家臣の高力清長が城主となった。
元和6年(1620年)5万5千石で本丸老職・青山忠俊が城主となり、後は阿部氏・板倉氏・戸田氏・藤井松平氏・小笠原氏・永井氏と城主を変えたが、宝暦元年(1756年)に徳川家重の側用人・大岡忠光が岩付藩主となると、明治4年(1871年)に廃藩置県となり廃城となるまで大岡氏8代の居城となった。

三ノ丸藩主居宅の長屋門「黒門」
三ノ丸藩主居宅の長屋門「黒門」
伝・岩槻城裏門
伝・岩槻城裏門
菖蒲池に架かる朱色の八ッ橋
菖蒲池に架かる朱色の八ッ橋
土塁上から見た空堀
土塁上から見た空堀
新曲輪の土塁と空堀
新曲輪の土塁と空堀
北条氏統治時代の障子堀跡(土管で再現)
北条氏統治時代の障子堀跡(土管で再現)
新曲輪の横矢掛の土塁
新曲輪の横矢掛の土塁
新曲輪の土塁と空堀
新曲輪の土塁と空堀
堀底から見た土塁
堀底から見た土塁
新正寺曲輪跡
新正寺曲輪跡