城の歴史
永正年間(1504~21年)に大井美作入道玄岑が築城したと伝わる。
天文15年(1546年)甲斐の武田晴信(のちの信玄)が佐久郡へ侵攻し、同年5月3日には内山城へ攻め寄せた。
城主の大井貞清は籠城し抵抗したが5月20日に城は落城、貞清は降伏して武田氏に臣従した。
貞清は城代に任じられたが同年7月18日には躑躅ヶ崎館へ出仕する事となり、新たな城代として上原伊賀守(小山田虎満、備中守)が配され、天正7年(1579年)10月12日に死去するまで城代を務めたと言う。
天文17年(1548年)2月14日、小県郡上田原の戦いで武田軍を撃退した村上義清が内山城に攻め寄せたが、晴信は諏訪上原城から佐久へ出兵、村上軍の撃退に成功した。
天正11年(1583年)武田家滅亡後に北条氏の属城となっていた内山城は、徳川家康麾下の依田信蕃らによって攻略されると廃城となった。








