城の歴史
岩殿山は9世紀の末、天台宗の岩殿山円通寺として開創したと伝わる。
10世紀初頭には南東麓に観音堂や三重塔、新宮などの伽藍が配され、「岩殿権現」「七社権現(明神)」と呼ばれた。
13世紀に入ると天台系聖護院末の修験道の場として栄えている。
16世紀には大名の領国支配制が成立し、甲斐守護武田氏・郡内領主の小山田氏の支配を受けるようになり、岩殿山も武蔵・相模に備えるための戦略上の拠点として整備が進んだと考えられる。
天正10年(1582年)織田信長の甲州征伐では、岩殿山城の小山田信茂が織田方へ寝返ったため、岩殿山へ入城する予定であった武田勝頼は郡内に入れず天目山で自害、武田氏は滅亡した。
江戸幕府を成立させた徳川家康は、有事の際は甲斐への退去を想定していたため、岩殿山城は要塞としての機能を保っていたが、江戸幕府の支配体制が確立された17世紀初頭に廃城となった。














