城の歴史
天文年間(1532年-1555年)真田幸隆は鎌倉時代の山城跡を改修し、真田氏館の詰城として真田氏本城を築城した。
その後、真田氏の家督は信綱・昌幸と引き継がれたが、天正10年(1582年)3月に主家である武田氏が織田信長・徳川家康の連合軍によって滅ぼされると、天正11年(1583年)真田昌幸は新たに築いた上田城へ本拠を移したため、真田氏本城は廃城となった。
(さなだしほんじょう)別称:真田山城・松尾新城・住連寺城・十林寺の城山
訪城時の記録をもとに、所在地・史跡情報・現地の見どころをまとめています。

天文年間(1532年-1555年)真田幸隆は鎌倉時代の山城跡を改修し、真田氏館の詰城として真田氏本城を築城した。
その後、真田氏の家督は信綱・昌幸と引き継がれたが、天正10年(1582年)3月に主家である武田氏が織田信長・徳川家康の連合軍によって滅ぼされると、天正11年(1583年)真田昌幸は新たに築いた上田城へ本拠を移したため、真田氏本城は廃城となった。