Castle record

結城城

(ゆうきじょう)別称:臥牛城

Castle information

結城城の基本情報

訪城時の記録をもとに、所在地・史跡情報・現地の見どころをまとめています。

所在地
茨城県結城市結城
史跡指定
指定情報の記載なし
現在の状態
公園・農地・宅地など
主な遺構
土塁
主な見どころ
城跡歴史公園入口/聡敏神社に残る主郭土塁跡/三日月橋
訪城写真
7枚掲載
城跡歴史公園入口
城跡歴史公園入口

城の歴史

寿永2年(1183年)志田義広の乱を制圧した結城朝光が、源頼朝より結城郡の地頭職に任命され当地に築いた城が結城城の発祥と伝わる。
永享12年(1440年)11代当主・結城氏朝は永享の乱で自刃した鎌倉公方・足利持氏の遺児春王・安王兄弟を擁立、嫡男・持朝とともに鎌倉幕府に反旗を翻し結城城に篭城した。
嘉吉元年(1441年)氏朝・持朝は討死し結城城は落城、結城氏は一時没落する。
文安4年(1447年)足利成氏が鎌倉公方再興を許されると佐竹氏の庇護を受けていた氏朝の四男・成朝が旧領に復帰し結城城に入城、以降、江戸時代初期まで結城氏代々の居城となった。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐に17代当主・結城晴朝は豊臣方として参陣、所領を安堵され秀吉の養子となっていた徳川家康の長男・秀康を養嫡子として迎えると家督を譲り隠居した。
慶長9年(1604年)結城秀康は徳川家(越前松平家)に戻り越前国へ転封、結城領は天領となり結城城は破却され、一時廃城となった。
元禄13年(1700年)水野勝長が能登より入封し下総国結城藩を立藩、以後明治維新まで水野氏10代が結城領を治めた。
元禄16年(1703年)幕府より結城城再興の許可が下り、水野氏により再築城された。
慶応4年(1868年)戊辰戦争の際に佐幕派が結城城を占拠、このため新政府軍に攻められ落城し廃城となった。

城跡歴史公園入口
城跡歴史公園入口
聡敏神社に残る主郭土塁跡
聡敏神社に残る主郭土塁跡
三日月橋
三日月橋
城塁
城塁
主郭城塁
主郭城塁
結城城遠望
結城城遠望
現地案内板
現地案内板