Castle record

弘前城

(ひろさきじょう)別称:高岡城・鷹岡城

Castle information

弘前城の基本情報

訪城時の記録をもとに、所在地・史跡情報・現地の見どころをまとめています。

所在地
青森県弘前市下白銀町
史跡指定
国指定史跡
現在の状態
本文・写真で現地の様子を紹介
主な遺構
現地写真を参照
主な見どころ
辰巳櫓/御三階櫓/土塁/水堀
訪城写真
3枚掲載
PCがない時代に写ルンですで撮った写真(笑)
PCがない時代に写ルンですで撮った写真(笑)

城の歴史

慶長5年(1600年)関ケ原の合戦で東軍(徳川方)に与した津軽領4万5千石の領主・津軽為信は、徳川家康より上野国勢多郡大舘領2千石の加増を受け、4万7千石の弘前藩を成立させ初代藩主となった。
慶長8年(1603年)堀越城を拠点としていた津軽為信は、堀越城が軍事に不向きであったため、かねてより目をつけていた鷹岡の地に本拠となる新城の築城を開始した。
慶長12年(1607年)為信は京に在番していた嫡男・信建が病で倒れたとの報せを受け、自身も病に侵されていたにも関わらず、信建を見舞うために上洛したが信建は死去し、自身も京都で病没したため鷹岡城の建設は中断となった。
津軽家の家督を継いだ為信の三男・信枚は、慶長14年(1609年)に鷹岡城の建設を再開させ、堀越城、大浦城の遺材を転用し、新城の完成を急いだ。
慶長16年(1611年)5層5階の大天守を備えた鷹岡城がほぼ完成したが、大天守は寛永4年(1627年)、落雷により焼失した。
寛永5年(1628年)鷹岡の地名を信枚の帰依する南光坊天海の助言により弘前と改称したため、城名も弘前城となる。
文化7年(1810年)9代藩主・津軽寧親は三層櫓の建設を幕府に請願、現在の本丸に建つ御三階櫓が建設された。
明治6年(1873年)明治政府の廃城令発布により、本丸御殿や武芸所等が取り壊された。
明治27年(1894年)旧藩主の津軽氏が城跡を市民公園として一般開放するため、城地の貸与を願い出て許可され、翌年に弘前公園として一般公開され現在に至る。

PCがない時代に写ルンですで撮った写真(笑)
PCがない時代に写ルンですで撮った写真(笑)
辰巳櫓
辰巳櫓
御三階櫓
御三階櫓