Castle record

松代城

(まつしろじょう)別称:海津城・貝津城・茅津城・待城・松城

Castle information

松代城の基本情報

訪城時の記録をもとに、所在地・史跡情報・現地の見どころをまとめています。

所在地
長野県長野市松代町松代
史跡指定
指定情報の記載なし
現在の状態
海津城跡公園として整備
主な遺構
土塁・水堀・石垣・虎口
主な見どころ
太鼓門と水堀に架かる木橋/二郭南門/二郭南門の土塁
訪城写真
29枚掲載
太鼓門と水堀に架かる木橋
太鼓門と水堀に架かる木橋

城の歴史

詳細な築城時期は不明。
甲斐の武田信玄が越後の上杉謙信と争った川中島の合戦(1553年~1564年)の際、信濃の豪族・清野氏の居館を甲斐武田氏が接収し、川中島地域の拠点城郭として整備・拡張され、海津城と命名された。
天正10年(1582年)3月、織田信長によって武田氏が滅亡、海津城は織田家臣・森長可の居城となった。
しかし、6月に本能寺の変により織田信長が横死したため、長可は信濃を放棄して退却した。
空白地となっていた海津城は、信濃へ侵攻した越後の上杉氏の支配となった。
慶長3年(1598年)上杉景勝が会津に移封となると豊臣秀吉の蔵入地となり、城主には田丸直昌が任じられた。
慶長5年(1600年)森忠政が城主となり、海津城は待城、慶長8年(1603年)松平忠輝の城主時代には松城と呼ばれるようになった。
元和8年(1622年)10月、真田信之が上田から移封され、真田3代目藩主・幸道の時に幕命により松代城と改名された。
以後、松代城は、松代藩の藩庁として明治維新まで真田氏の居城となった。

太鼓門と水堀に架かる木橋
太鼓門と水堀に架かる木橋
二郭南門
二郭南門
二郭南門の土塁
二郭南門の土塁
主郭水堀と木橋
主郭水堀と木橋
復元された橋詰門と太鼓門
復元された橋詰門と太鼓門
二郭の土塁
二郭の土塁
郭内から見た南門と土塁
郭内から見た南門と土塁
二郭の御殿跡
二郭の御殿跡
二郭東石揚門
二郭東石揚門
御殿跡の土塁から見た北郭
御殿跡の土塁から見た北郭
二郭北側の水堀
二郭北側の水堀
北郭
北郭
主郭石垣
主郭石垣
北郭の外堀
北郭の外堀
北郭の搦手虎口
北郭の搦手虎口
主郭北側の石垣
主郭北側の石垣
主郭北側の枡形門
主郭北側の枡形門
枡形内からみた北門
枡形内からみた北門
主郭北櫓門
主郭北櫓門
主郭内の海津城址の碑
主郭内の海津城址の碑
主郭
主郭
戌亥櫓台
戌亥櫓台
櫓台からみた北枡形門
櫓台からみた北枡形門
櫓台からみた主郭水堀
櫓台からみた主郭水堀
郭内から見た太鼓門
郭内から見た太鼓門
石垣上から見た太鼓門の枡形
石垣上から見た太鼓門の枡形
太鼓門
太鼓門
主郭水堀
主郭水堀
橋詰門と太鼓門
橋詰門と太鼓門