城の歴史
詳細な築城時期は不明。
甲斐の武田信玄が越後の上杉謙信と争った川中島の合戦(1553年~1564年)の際、信濃の豪族・清野氏の居館を甲斐武田氏が接収し、川中島地域の拠点城郭として整備・拡張され、海津城と命名された。
天正10年(1582年)3月、織田信長によって武田氏が滅亡、海津城は織田家臣・森長可の居城となった。
しかし、6月に本能寺の変により織田信長が横死したため、長可は信濃を放棄して退却した。
空白地となっていた海津城は、信濃へ侵攻した越後の上杉氏の支配となった。
慶長3年(1598年)上杉景勝が会津に移封となると豊臣秀吉の蔵入地となり、城主には田丸直昌が任じられた。
慶長5年(1600年)森忠政が城主となり、海津城は待城、慶長8年(1603年)松平忠輝の城主時代には松城と呼ばれるようになった。
元和8年(1622年)10月、真田信之が上田から移封され、真田3代目藩主・幸道の時に幕命により松代城と改名された。
以後、松代城は、松代藩の藩庁として明治維新まで真田氏の居城となった。
































