Castle record

荒戸城

(あらとじょう)

Castle information

荒戸城の基本情報

訪城時の記録をもとに、所在地・史跡情報・現地の見どころをまとめています。

所在地
新潟県南魚沼郡湯沢町神立
史跡指定
県指定史跡
現在の状態
本文・写真で現地の様子を紹介
主な遺構
土塁・空堀・竪堀・虎口・土橋
主な見どころ
城址登城口/二郭から見下ろした馬出郭/見事な土の城塁
訪城写真
16枚掲載
城址登城口
城址登城口

城の歴史

天正6年(1578年)7月、北条氏の越後侵入を阻止するために上杉景勝が登坂与衛門尉らに命じて築城した。
天正6年(1578年)関東出兵の準備を進めていた上杉謙信が春日山城内で急死、謙信の養子である景勝(実父・長尾政景)と景虎(実父・北条氏康)が家督を巡り対立、景勝は軍事拠点の春日山城を、景虎は政治拠点の御館を押えた。
実弟・上杉景虎の援軍要請を受けた小田原の北条氏政は、北条氏照、氏邦に大軍を与え越後に出陣を命じた。
北条方の動きに対し上杉景勝は、関東からの進入路である三国街道の要衝に築城を命じ、北条軍の越後侵攻阻止を図った。
しかし8月、三国峠を越えて越後に侵攻した北条軍は、景勝方の荒戸城を攻略、次いで樺沢城を奪取した。
北条軍は樺沢城に本拠を置くと坂戸城の攻略に着手したが、雪で街道が塞がれる冬の到来前に本国へ帰還するため撤退し、翌年、景勝は手薄となった御館に総攻撃を開始、御館は方々に放火され落城したが、景虎は館を脱出して逃亡、味方である鮫ヶ尾城に寄った所を景勝方に寝返った城主・堀江宗親に攻められ自害した。
事実上、上杉謙信の後継者となった景勝は樺沢城を攻略、北条勢を越後から完全に撤退させると荒戸城の奪還にも成功し富里氏、栗林氏などを城代に置いて三国街道の監視にあたらせた。
慶長3年(1598年)上杉景勝は豊臣秀吉の命によって会津120万石に加増移封となり、荒戸城は廃城となった。

城址登城口
城址登城口
二郭から見下ろした馬出郭
二郭から見下ろした馬出郭
見事な土の城塁
見事な土の城塁
大手馬出郭の空堀
大手馬出郭の空堀
城塁の斜面
城塁の斜面
大手馬出郭の空堀
大手馬出郭の空堀
馬出郭
馬出郭
馬出郭の竪堀
馬出郭の竪堀
二郭全景
二郭全景
二郭標柱
二郭標柱
主郭大手虎口へ続く土橋
主郭大手虎口へ続く土橋
主郭大手虎口
主郭大手虎口
主郭
主郭
主郭外から見た搦手虎口
主郭外から見た搦手虎口
主郭土塁
主郭土塁
竪堀
竪堀