Castle record

樺沢城

(かばさわじょう)別称:鞠子城

Castle information

樺沢城の基本情報

訪城時の記録をもとに、所在地・史跡情報・現地の見どころをまとめています。

所在地
新潟県南魚沼市樺野沢
史跡指定
県指定史跡
現在の状態
本文・写真で現地の様子を紹介
主な遺構
土塁・空堀・堀切・竪堀・虎口
主な見どころ
城址登城口/主郭から上田庄方面の眺望/下屋敷跡
訪城写真
18枚掲載
城址登城口
城址登城口

城の歴史

南北朝時代は鞠子城と称し、新田義貞の家臣・田中右衛門尉が居城したと伝わる。
天文20年(1551年)長尾景虎(上杉謙信)が越後を平定、景虎は姉の綾姫を坂戸城主・長尾政景に嫁がせ樺沢城の改築を命じ、関東遠征の際の宿所とされた。
弘治元年(1555年)樺沢城に居していた政景夫人・綾御前(仙桃院)に男子が誕生、卯ノ松と名付けられた。
永禄7年(1564年)父・政景が宇佐美定満と舟遊び中に溺死、卯ノ松は春日山城に入って叔父・上杉政虎(謙信)の養子となり元服して喜平冶(顕景)と称した。
天正3年(1575年)長尾顕景は上杉景勝と改名、謙信から弾正少弼の位を譲られ上杉一門衆筆頭となった。
天正6年(1578年)関東出兵の準備を進めていた上杉謙信が春日山城内で急死、謙信の養子である景勝(実父・長尾政景)と景虎(実父・北条氏康)が家督を巡り対立、家臣団は景勝方と景虎方の二手に別れて争った。
実弟・上杉景虎の援軍要請に応じた相模の北条氏政は北条氏照、氏邦に大軍を与え越後に出陣を命じた。
北条軍は三国峠を越え越後・上田庄に侵攻、景勝方の樺沢城を奪取した。
北条軍は樺沢城に本拠を置くと坂戸城の攻略に着手したが、雪で街道が塞がれる冬の到来前に本国へ帰還するため撤退し、樺沢城には北条輔広・河田重親を配し守備させた。
天正7年(1579年)2月、景勝は手薄となった御館の総攻撃を開始、御館は方々に放火され落城したが、景虎は館を脱出して逃亡、味方の城である鮫ヶ尾城に寄った所を景勝方に寝返った城主・堀江宗親に攻められ自害した。
事実上、上杉謙信の後継者となった景勝は樺沢城も奪回、栗林政頼に樺沢城主を命じた。
慶長3年(1598年)上杉景勝は豊臣秀吉の命によって会津120万石に加増移封となり、樺沢城は廃城となった。

城址登城口
城址登城口
主郭から上田庄方面の眺望
主郭から上田庄方面の眺望
下屋敷跡
下屋敷跡
城之腰跡
城之腰跡
仙桃院お花畑址、実際は登城道脇にあった
仙桃院お花畑址、実際は登城道脇にあった
元屋敷跡
元屋敷跡
登城道
登城道
土塁と空堀
土塁と空堀
登城道から見た望楼郭
登城道から見た望楼郭
重厚な土塁で守られた望楼郭
重厚な土塁で守られた望楼郭
三郭大手虎口
三郭大手虎口
三郭下曲輪全景
三郭下曲輪全景
二郭と三郭間の大空堀
二郭と三郭間の大空堀
二郭虎口、草が邪魔で遺構が見えない
二郭虎口、草が邪魔で遺構が見えない
二郭と主郭間の空堀
二郭と主郭間の空堀
主郭に建つ本丸跡碑
主郭に建つ本丸跡碑
主郭背後の堀切
主郭背後の堀切
畝状竪堀
畝状竪堀