城の歴史
享徳年間、下野小山城主・小山義政の五男・常宗がこの地を領して逆井城を築城、以降、逆井氏を称するようになった。
天文5年(1536年)古河公方の家臣であった常宗の孫・逆井常繁は小田原の北条氏康と対立、北条家の重臣・大道寺盛昌に攻撃され逆井城は落城、逆井氏は滅亡したと伝わる。
天正5年(1577年)下野・常陸方面侵攻の拠点であった逆井城には、玉縄城主・北条氏繁が入城、城郭は当時の最新技術を投入し大改修がなされ飯沼城と称されるようになり、佐竹氏・多賀谷氏などと対峙した。
天正6年(1578年)城主・北条氏繁は飯沼城中で病没、子の氏舜・氏勝兄弟がその跡を継ぐが、天正8年(1580年)頃には武蔵岩付城へ移った。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐により北条氏が没落すると廃城となった。


























