城の歴史
文治元年(1185年)鎌倉幕府より常陸国守護に任命され当地に入った八田知家が、小田氏を称し築いた居館が発祥と伝わる。
南北朝期に小田氏8代当主・小田治久は南朝方に属しており、小田城は常陸南部における南朝方の拠点として機能し、延元3年(1338年)には南朝方総司令官の北畠親房とその幕僚・春日顕国なども入城している。
戦国末期の弘治・永禄年間、小田氏15代当主・小田氏治は、佐竹氏・多賀谷氏・結城氏・越後の上杉謙信などと度重なる小田城争奪戦を繰り返した。
永禄12年(1569年)氏治は佐竹氏との手這坂の戦いに敗れ土浦城へ敗走、小田城は佐竹氏の支配下となった。
元亀元年(1570年)佐竹氏第18代当主・佐竹義重に太田資正が小田城を与えられ資正の子・梶原政景が城主となった。
その後、佐竹氏一族・小場義宗が城主となっていた慶長7年(1602年)に、佐竹氏が秋田に移封となったため廃城になった。










