城の歴史
永正7年(1510年)甲斐守護の武田信虎は郡内の有力国衆・小山田氏を従属させ、当主の小山田信有に実妹を嫁がせ、郡内へ近い東郡勝沼郷に小山田氏の目付として実弟・武田信友を配した。
以降、信友は同地に居館を築き、勝沼姓を称するようになった。
天文4年(1535年)信友が都留郡へ侵攻してきた北条氏綱との戦いで戦死、勝沼家の家督は信友の長男・信元が継いだ。
永禄3年(1560年)勝沼信元は上杉謙信の関東侵攻の際、上杉勢の調略に乗り謀反を画策していた事実が明るみとなり、武田信玄の命を受けた飯富昌景(後の山県昌景)に誅殺され勝沼氏は断絶した。












