城の歴史
長享元年(1487年)伊王野資清により築城された。
天正18年(1590年)20代当主・伊王野資信は、豊臣秀吉の小田原征伐に遅参し、戦後減封処分となったが、文禄・慶長の役(1592年~1598年)では加藤清正の配下として活躍、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは徳川家康に与し、上杉の軍勢を打破る軍功を挙げ江戸時代には旗本として家名を保った。
寛永10年(1633年)22代当主・伊王野資友が死去し伊王野家は断絶、伊王野城も廃城となった。
(いおのじょう)別称:霞ヶ城
訪城時の記録をもとに、所在地・史跡情報・現地の見どころをまとめています。

長享元年(1487年)伊王野資清により築城された。
天正18年(1590年)20代当主・伊王野資信は、豊臣秀吉の小田原征伐に遅参し、戦後減封処分となったが、文禄・慶長の役(1592年~1598年)では加藤清正の配下として活躍、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは徳川家康に与し、上杉の軍勢を打破る軍功を挙げ江戸時代には旗本として家名を保った。
寛永10年(1633年)22代当主・伊王野資友が死去し伊王野家は断絶、伊王野城も廃城となった。