城の歴史
寛治2年(1088年)藤原北家道長流の藤原資家は、奥州白河郡八溝山の賊を討った功により下野国那須郡を与えられ下向、神田城を築城し居館とすると須藤貞信と称するようになった。
以後、4代須藤資清に至るまで那須氏代々の居城となり、那須氏が稲積城・高館城に移った後に廃城となった。
元暦2年(1185年)源平屋島の戦いで、平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とした事で有名な那須与一宗隆生誕の城とも伝わる。
(かんだじょう)別称:那須城
訪城時の記録をもとに、所在地・史跡情報・現地の見どころをまとめています。

寛治2年(1088年)藤原北家道長流の藤原資家は、奥州白河郡八溝山の賊を討った功により下野国那須郡を与えられ下向、神田城を築城し居館とすると須藤貞信と称するようになった。
以後、4代須藤資清に至るまで那須氏代々の居城となり、那須氏が稲積城・高館城に移った後に廃城となった。
元暦2年(1185年)源平屋島の戦いで、平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とした事で有名な那須与一宗隆生誕の城とも伝わる。