城の歴史
天文年間(1532年~1555年)芦野資興が太田道灌の兵法を学び築いたと伝わる。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐では、主家・那須氏は遅参し改易処分となるが、芦野盛泰は周辺の那須衆と参陣して所領を安堵された。
戦後、奥州仕置の際、芦野に立寄った豊臣勢を茶亭で慰労し、秀吉より腰刀と黄金を与えられた。
慶長5年(1600年)17代当主・芦野政泰は江戸で徳川家康に拝謁、関ヶ原の合戦では東軍に与し、西軍の上杉景勝に備えて芦野の防備を固めた。
以降芦野氏は、徳川幕府の交代寄合の旗本として幕末まで存続、当地を治めた。
明治4年(1871年)廃藩置県により芦野城は廃城となった。














