城の歴史
康正2年(1456年)古河公方・足利成氏の命により家臣・金田則綱が築城、以降6代に亘り金田氏の居城となった。
城の竣工が5月5日の菖蒲の節句であったため菖蒲城と命名された。
5代城主・金田頼綱の時代に小田原北条氏に属する忍城の成田氏の支配下となった。
天正2年(1574年)北条氏政と上杉謙信が争った第三次関宿合戦の際、攻め寄せた上杉謙信の軍勢に城下を焼討ちにされたという。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐の際、小田原北条氏に属する忍城主・成田氏長に従ったため菖蒲城は廃城となり、6代城主・金田秀綱は所領を失なったため大塚姓を称し帰農した。




