城の歴史
天正18年(1590年)徳川家康の関東入封に伴い、家康十六神将の一人と謳われた弓の名手・内藤正成が、三河国幡豆郡七百石から、武蔵国埼玉郡の栢間村、戸ヶ崎村、新堀村、三箇村、小林村など五千石を与えられ、栢山の地に陣屋を築いた。
寛永8年(1631年)3代領主・内藤忠俊は幕府書院番となったが長年の不正が発覚し改易となった。
しかし、内藤正成の三河以来の武功忠勤が考慮され、忠俊の妹婿・内藤正重がその名跡を継ぎ、内藤氏は明治まで続いた。
(かやまじんや)別称:内藤氏陣屋・下萱間陣屋
訪城時の記録をもとに、所在地・史跡情報・現地の見どころをまとめています。

天正18年(1590年)徳川家康の関東入封に伴い、家康十六神将の一人と謳われた弓の名手・内藤正成が、三河国幡豆郡七百石から、武蔵国埼玉郡の栢間村、戸ヶ崎村、新堀村、三箇村、小林村など五千石を与えられ、栢山の地に陣屋を築いた。
寛永8年(1631年)3代領主・内藤忠俊は幕府書院番となったが長年の不正が発覚し改易となった。
しかし、内藤正成の三河以来の武功忠勤が考慮され、忠俊の妹婿・内藤正重がその名跡を継ぎ、内藤氏は明治まで続いた。