城の歴史
天文19年(1550年)佐枝若狭守秀成は剃髪し玉峰道金上座と称して当地に龍門寺を開基した。
天正9年(1581年)若狭守秀成が没し、子・与兵衛秀元が龍門寺境内に屋敷を構えた。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐の際、北条方の佐枝秀元は約二千名の兵と共に岩槻城に篭城したが、豊臣方の浅野長吉率いる約2万の大軍に攻められ秀元は討死、岩槻城兵1千余の犠牲を出して数日後に降伏落城した。
戦後、秀元の子・十郎左衛門種長とその母は駿府に移ったため佐枝氏館は廃された。
(さえだしやかた)
訪城時の記録をもとに、所在地・史跡情報・現地の見どころをまとめています。

天文19年(1550年)佐枝若狭守秀成は剃髪し玉峰道金上座と称して当地に龍門寺を開基した。
天正9年(1581年)若狭守秀成が没し、子・与兵衛秀元が龍門寺境内に屋敷を構えた。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐の際、北条方の佐枝秀元は約二千名の兵と共に岩槻城に篭城したが、豊臣方の浅野長吉率いる約2万の大軍に攻められ秀元は討死、岩槻城兵1千余の犠牲を出して数日後に降伏落城した。
戦後、秀元の子・十郎左衛門種長とその母は駿府に移ったため佐枝氏館は廃された。