城の歴史
永禄3年(1560年)岩槻城主・太田資正の四男・潮田資忠により岩槻城の支城として築城された。
永禄7年(1564年)第2次国府台合戦で北条氏康に敗れた父・太田資正を追放した資正の嫡男・太田資房(氏資)は北条氏に内応して岩槻城主となると、寿能城主・潮田資忠も兄・資房(氏資)に従ったため寿能城も北条方の城となった。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐の際、城主・潮田資忠・資勝父子は小田原城にて篭城したが討死し、寿能城も豊臣方の浅野長政軍に攻められて落城した。
(じゅのうじょう)
訪城時の記録をもとに、所在地・史跡情報・現地の見どころをまとめています。

永禄3年(1560年)岩槻城主・太田資正の四男・潮田資忠により岩槻城の支城として築城された。
永禄7年(1564年)第2次国府台合戦で北条氏康に敗れた父・太田資正を追放した資正の嫡男・太田資房(氏資)は北条氏に内応して岩槻城主となると、寿能城主・潮田資忠も兄・資房(氏資)に従ったため寿能城も北条方の城となった。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐の際、城主・潮田資忠・資勝父子は小田原城にて篭城したが討死し、寿能城も豊臣方の浅野長政軍に攻められて落城した。