城の歴史
築城年代など詳細不明。
承平8年(938年)武蔵介として現地に赴任した経基流清和源氏の初代・源経基の館跡との伝承があるが、遺構の状態から推察して戦国期の築城と考えられる。
「将門記」には足立郡司判官代の武蔵武芝と争った時に「源経基が妻子を連れ比企郡狹服山に登っている」との記述があり、これを元にここが源経基館跡であると考えられた。
江戸時代に編纂された「新編武蔵国風土記稿」には扇谷上杉氏の家臣・箕田氏の城址とも云われていると記されている。
(みなもとのつねもとやかた)別称:箕田の城山・箕田城・大間城
訪城時の記録をもとに、所在地・史跡情報・現地の見どころをまとめています。

築城年代など詳細不明。
承平8年(938年)武蔵介として現地に赴任した経基流清和源氏の初代・源経基の館跡との伝承があるが、遺構の状態から推察して戦国期の築城と考えられる。
「将門記」には足立郡司判官代の武蔵武芝と争った時に「源経基が妻子を連れ比企郡狹服山に登っている」との記述があり、これを元にここが源経基館跡であると考えられた。
江戸時代に編纂された「新編武蔵国風土記稿」には扇谷上杉氏の家臣・箕田氏の城址とも云われていると記されている。