城の歴史
築城時期など詳細不明。
北条家臣・上田左近により居館として築かれた鶴馬館が由来と伝わる。
北条氏の小田原所領役帳に「上田左近、百七十貫文入東郡鶴間、百五十貫文難波田、百二十貫文水子、六貫九百六十二文勝内藤沢分、六貫文福岡内難波田分、二十五貫文比企郡葛袋、以上四百七十七貫九百六十二文」との記述があり、上田氏が鶴間村の領主であったが伺える。
また鶴間村領主の上田氏は鶴間山長寿院を開基したという。
徳川家康の関東入封後、鶴間村の地頭となった多門平次郎に取り立てられ、以来徳川家旗本・多門氏の居館となった。








