城の歴史
正確な築城年代は定かではないが、鎌倉時代には武士の居館があったと考えられており、山内上杉家によって城としての形態に整備されたのが室町時代末期とされる。
山内上杉氏の居城として築かれるも地形が狭かったため上杉家は上州平井城へ移り、平井城に在城していた家臣・有田定基(城主となってからは夏目を称す)を城主として配した。
山内上杉氏が衰退し、北条氏の支配となると鉢形城主・北条氏邦の管理下に置かれ鉢形城の支城として機能した。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐が始まると、豊臣方の前田利家・上杉景勝ら北国勢の攻撃によって落城する。
徳川家康が関東へ入封し江戸城主となると、松平清宗・家清父子が児玉郡八幡山1万石で当城に配され、城は八幡山城と称されるようになった。
慶長6年(1601年)城主・松平家清は関ケ原合戦の功により三河国吉田3万石に加増転封となったため、当城は廃城となった。










