Castle record

雉岡城

(きじがおかじょう)別称:八幡山城

Castle information

雉岡城の基本情報

訪城時の記録をもとに、所在地・史跡情報・現地の見どころをまとめています。

所在地
埼玉県本庄市児玉町八幡山
史跡指定
県指定史跡
現在の状態
本文・写真で現地の様子を紹介
主な遺構
土塁・空堀・水堀・虎口・石碑
主な見どころ
雉岡城址の石碑/高校前の土塁/水堀
訪城写真
7枚掲載
雉岡城址の石碑
雉岡城址の石碑

城の歴史

正確な築城年代は定かではないが、鎌倉時代には武士の居館があったと考えられており、山内上杉家によって城としての形態に整備されたのが室町時代末期とされる。
山内上杉氏の居城として築かれるも地形が狭かったため上杉家は上州平井城へ移り、平井城に在城していた家臣・有田定基(城主となってからは夏目を称す)を城主として配した。
山内上杉氏が衰退し、北条氏の支配となると鉢形城主・北条氏邦の管理下に置かれ鉢形城の支城として機能した。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐が始まると、豊臣方の前田利家・上杉景勝ら北国勢の攻撃によって落城する。
徳川家康が関東へ入封し江戸城主となると、松平清宗・家清父子が児玉郡八幡山1万石で当城に配され、城は八幡山城と称されるようになった。
慶長6年(1601年)城主・松平家清は関ケ原合戦の功により三河国吉田3万石に加増転封となったため、当城は廃城となった。

雉岡城址の石碑
雉岡城址の石碑
高校前の土塁
高校前の土塁
水堀
水堀
水堀と土塁
水堀と土塁
空堀
空堀
虎口
虎口
堀と土塁
堀と土塁