城の歴史
明応元年(1492年)沼田城の支城として沼田氏によって築かれたとされている。
史料上では、上杉景勝との甲越同盟により東上野の割譲を受けた武田勝頼が北条氏の支配下にあった沼田領を攻略するための拠点として、天正7年(1579年)家臣の真田昌幸に築かせた城である。
武田氏滅亡後、独立した真田氏と北条氏が沼田・吾妻領を巡って争い、名胡桃城は沼田城の有力な支城として沼田領に侵攻してきた北条軍を度々退けた。
天正17年(1589年)豊臣秀吉の調停で沼田城を含む利根沼田の3分の2は北条領、名胡桃城を含む3分の1は真田領とされた。
同年11月、沼田城代として派遣された猪俣邦憲が名胡桃城を奪取(名胡桃事件)、この行為が惣無事令違反として秀吉の怒りを買い、翌年に小田原の役へと発展、北条氏が没落し沼田領が真田氏に与えられると名胡桃城は廃城となった。
















