Castle record

三春城

(みはるじょう)別称:舞鶴城

Castle information

三春城の基本情報

訪城時の記録をもとに、所在地・史跡情報・現地の見どころをまとめています。

所在地
福島県田村郡三春町大町
史跡指定
指定情報の記載なし
現在の状態
城山公園として整備
主な遺構
土塁・石垣・虎口・門跡・城址碑
主な見どころ
主郭登城口の土塁と城址碑/九十九折の登城道/矢倉跡、土台には石垣が残る
訪城写真
11枚掲載
主郭登城口の土塁と城址碑
主郭登城口の土塁と城址碑

城の歴史

永正元年(1504年)田村義顕が築城し守山城より本拠を移したという。
天正14年(1586年)田村清顕が没し、清顕に男子がいなかったため清顕夫人(相馬顕胤の娘)が三春城主となった。
田村家中は清顕夫人の縁に頼り相馬氏との同盟を主張する相馬派、清顕の一人娘・愛姫の嫁ぎ先である伊達氏との同盟継続を主張する伊達派に分裂した。
天正16年(1588年)相馬派は家中掌握のため相馬義胤を三春城に入城させようと画策、義胤は三春まで進出するが伊達派に反撃され撤退した。
相馬派の動きを受けて愛姫の夫で伊達家当主の政宗は同年8月に三春城に入城、田村家中の相馬派を一掃すると、清顕の甥・田村宗顕を三春城主と定め、事実上、田村氏を支配下に治めた。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐に宗顕は参陣せず改易、三春城は蒲生領となる。
その後は上杉氏、蒲生氏、加藤氏、松下氏と藩主を代え、三春城も近世城郭へと改修された。
正保2年(1645年)秋田俊季が三春藩主として5万5千石で入城、以降、明治維新まで秋田氏の居城となり、明治初年に廃城となった。

主郭登城口の土塁と城址碑
主郭登城口の土塁と城址碑
九十九折の登城道
九十九折の登城道
矢倉跡、土台には石垣が残る
矢倉跡、土台には石垣が残る
野面積みの石垣
野面積みの石垣
大門跡、礎石が残されている
大門跡、礎石が残されている
二郭全景
二郭全景
主郭跡
主郭跡
奥跡、秋田氏の祖先尊霊碑が建っている
奥跡、秋田氏の祖先尊霊碑が建っている
腰郭の虎口
腰郭の虎口
虎口と土塁
虎口と土塁
崩落した石垣
崩落した石垣