城の歴史
永正元年(1504年)田村義顕が築城し守山城より本拠を移したという。
天正14年(1586年)田村清顕が没し、清顕に男子がいなかったため清顕夫人(相馬顕胤の娘)が三春城主となった。
田村家中は清顕夫人の縁に頼り相馬氏との同盟を主張する相馬派、清顕の一人娘・愛姫の嫁ぎ先である伊達氏との同盟継続を主張する伊達派に分裂した。
天正16年(1588年)相馬派は家中掌握のため相馬義胤を三春城に入城させようと画策、義胤は三春まで進出するが伊達派に反撃され撤退した。
相馬派の動きを受けて愛姫の夫で伊達家当主の政宗は同年8月に三春城に入城、田村家中の相馬派を一掃すると、清顕の甥・田村宗顕を三春城主と定め、事実上、田村氏を支配下に治めた。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐に宗顕は参陣せず改易、三春城は蒲生領となる。
その後は上杉氏、蒲生氏、加藤氏、松下氏と藩主を代え、三春城も近世城郭へと改修された。
正保2年(1645年)秋田俊季が三春藩主として5万5千石で入城、以降、明治維新まで秋田氏の居城となり、明治初年に廃城となった。














