城の歴史
嘉禎2年(1236年)西園寺公経が宇和島地方を勢力下に置き、丸串城を築いた。
天文15年(1546年)西園寺家傘下である高串道免城の家藤信種が城主となり、大友氏、長宗我部氏等の侵攻を受けるがこれに耐えた。
天正3年(1575年)信種が道免城に戻ったため、西園寺十五将の1人・西園寺宣久が板島丸串城を本拠とし城主となった。
天正13年(1585年)豊臣秀吉の四国討伐により、伊予国は小早川隆景の所領となり、隆景家臣・持田右京が丸串城代を務めた。
天正15年(1587年)隆景が筑前国に転封となり、代わって大洲城に戸田勝隆が入城、戸田与左衛門が丸串城代となった。
文禄4年(1595年)藤堂高虎が宇和郡7万石を拝領し入城、翌年より城郭の大改修に着手した。
慶長6年(1601年)高虎の改修によって近世城郭が完成、宇和島城と名付けられる。
高虎は関ヶ原の戦いの功により前年に国府に移封が決まっていたが、城の完成を見届けた後に移った。
慶長13年(1608年)伊勢国安濃津から富田信高が転封し入城した。
慶長18年(1613年)罪人を匿った罪により信高が改易、宇和郡は徳川幕府直轄領となり、代官には宇和島城の築城を手掛けた藤堂高虎任ぜられ、高虎の従弟・良勝を城代とした。
慶長19年(1614年)伊達政宗の長男(庶子)伊達秀宗が10万石で入封、以降は明治維新を迎えるまで伊予宇和島藩伊達家の居城となった。











