城の歴史
元徳3年(1331年)鎌倉幕府より伊予国の守護職を任じられ国入りした伊予宇都宮氏の宇都宮豊房の築城と伝わる。
豊房には子がなかった為、筑後宇都宮氏・宇都宮貞泰の子・宇都宮宗泰を養子に迎え、宇都宮氏はその後、国人として二百数十年間にわたって南伊予を中心に支配を行った。
永禄11年(1568年)伊予宇都宮氏8代当主・宇都宮豊綱は、毛利氏の援軍を受けた河野氏との鳥坂峠の合戦で大敗を喫し降伏した。
天正8年(1580年)豊綱は、土佐の長宗我部元親と通じた家臣・大野直之の調略によって大洲城を追われた。
天正13年(1585年)大野直之も豊臣秀吉の意を受けた小早川隆景によって攻め滅ぼされると、隆景が35万石で伊予湯築城に入封し、大洲城には毛利元就の九男で小早川隆景の養子・小早川秀包が配され城主となった。
天正15年(1587年)隆景が筑前国に転封となり、戸田勝隆が城主として入ったが、文禄4年(1595年)に藤堂高虎が宇和島城主となると、その支城となり藤堂氏の支配下におかれる。
慶長14年(1609年)淡路洲本から脇坂安治が5万石で城主となり城の大修築を行なった。
元和3年(1617年)大阪の陣の戦功により加藤貞泰が伯耆米子から6万石で入封し、以降、加藤氏が12代に亘り大洲藩主として治め明治維新を迎えた。












