城の歴史
久安4年(1148年)小山政光によって築かれたと伝わる。
武蔵国の在庁官人で藤原秀郷の直系子孫とされる太田行政の子・政光が下野国小山荘に移住し小山氏を称するようになった。
康暦2年(1380年)~永徳2年(1383年)下野守護を務めていた小山氏11代当主・小山義政は、朝廷から代々下野国司の職を授かる近隣豪族・宇都宮氏と覇権争いが起き、裳原の戦いで宇都宮氏11代当主・宇都宮基綱を敗死させた。
関東屈指の勢力を持つ小山氏の勢力抑圧と小山氏支配地の武蔵太田荘・下河辺荘進出の機会を狙っていた鎌倉公方・足利氏満は、基綱戦死の報を受け、小山氏を追討、断絶に追い込んだ。
小山氏を断絶させた氏満は、小山氏の再興を決めると小山氏庶流で下総結城氏・結城基光の次男・泰朝に小山氏の名跡を継承させた。
小山氏の当主となった泰朝は鷲城の支城であった小山城に入城、以来、小山城が代々の本城となった。
天正18年(1590年)18代当主・小山秀綱は、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣せず改易、小山荘は結城氏支配下となった。
慶長13年(1608年)徳川家康の重臣・本多正純が大名に取り立てられ、下野小山藩主として小山城に入城したが、元和5年(1619年)には宇都宮へ加増移封となり、小山城は廃城、小山藩は古河藩に吸収された。






















