城の歴史
築城年代など詳細不明。
「源平盛衰記」に源頼朝が武州月田川のはた青鳥野に陣をとる(寿永2年・1183年)とあり、本郭は12世紀末(平安時代末期)には築城されていた事が推定される。
また、「妙昌寺縁起」には建武元年(1334年)に青鳥城主・藤原斎心入道利行と記されている。
文明12年(1480年)11月に扇谷上杉氏の家宰・太田道灌が山内上杉氏家臣・高瀬民部少輔に宛てた書状に「1478年、扇谷上杉定正と太田道灌が青鳥に在陣した」という記述があり、永禄2年(1559年)の「小田原衆所領役帳」に、狩野介四十貫目比企郡青鳥居、久米新左衛門四十五貫松山筋石橋とあり、この頃の城主はこの二人のどちらかであると考えられる。
1560年代前半の松山城の攻防戦では北条氏康方の城として機能し、松山城主・上田朝直家臣の山田直安が在城した。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐において、松山城主・上田憲定は主家である北条氏の本拠・小田原城に入った。
青鳥城主・山田直安は青鳥城を廃し城代として上田氏本拠の松山城に約2300名の城兵と共に籠城したが、豊臣方の前田利家・上杉景勝軍を主力とする大軍に包囲されて降伏した。












