城の歴史
天文後期(1550年頃)常陸国河内郡岡見郷を支配する岡見氏が築いたとされている。
永禄末から元亀(1570年前後)には、佐竹氏と同盟を結んだ下妻城主・多賀谷氏による牛久地方への進出が激しくなり、岡見氏は北条氏と結び対抗した。
天正14年(1586年)多賀谷氏の攻撃により牛久城の支城である谷田部城が落城、城主の岡見主殿は牛久城へ逃れた。
翌年、多賀谷氏は牛久城と東林寺城の西隣に八崎城を築城し、牛久城の有力支城である足高城を攻略すると岡見氏の本拠・牛久城に攻め寄せた。
岡見氏は、同盟する布川城・豊島氏、小金城・高城氏などの援軍を得て牛久城を守りきったが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉よる小田原征伐によって開城した。
戦後、豊臣秀吉は由良国繁を牛久城主とした。
元和7年(1621年)由良氏2代当主・貞繁の死去によって弟・忠繁が家督を相続したが、由良氏は大幅な減俸処分となったため、元和9年(1623年)に牛久城は廃された。
















