城の歴史
築城時期は15世紀中頃、長享元年(1487年)には既に存在した。
三善康信の子孫という善氏(のち改称して膳氏)の居城であった。
元亀3年(1572年)城主・膳宗次が上杉謙信の下野国小俣城攻めの参陣中に討死し、子・春松丸が跡を継ぐが、反攻してきた北条軍により落城、春松丸は厩橋へ逃亡し膳氏は没落した。
天正2年(1574年)2月、関東へ出兵した上杉謙信の軍に攻略され、11月には羽生城より木戸忠朝が入城した。
天正6年(1578年)上杉謙信の死去により北条氏に属し河田備前守が城主となる。
天正8年(1580年)御館の乱で上杉景勝を支持する武田勝頼は、上杉景虎派の厩橋城を制圧後、赤城山南麓の大胡城・山上城・伊勢崎城を攻略。
武田勝頼軍は人心安定のため平服のまま各地を視察し、膳城付近を通過した。
膳城は酒宴の最中で喧嘩沙汰も起きており、武田軍を見た一部城兵が激高、武田軍に攻撃を仕掛けてしまった。
この結果、武田軍の反撃を受け膳城は落城、河田備前守や城代・大胡民部左衛門が討ち取られてしまったのだが、これを「膳城素肌攻め」という。
この落城後、廃城となったという。











