城の歴史
長禄3年(1457年)古河公方家臣・簗田成助が築城したと伝わる。
1565年、1568年と二度北条氏に攻撃されたが、城主・簗田晴助はよく守り、対外関係の変化もあって北条方は撤退した。
天正2年(1573年)北条氏照による夜襲を受けるが撃退に成功、しかし、翌年に再度、北条氏照が関宿攻略の兵を挙げると、本国・小田原の北条氏政も氏邦・氏規らの軍勢を率いて関宿攻略に出馬した。
氏政の出馬を受けて関東の北条方の領主達も関宿攻略戦に参陣、攻城方の兵力は三万騎以上に膨れ上がり、大軍に攻囲された城方の梁田晴助は善戦虚しく矢弾が尽き果て降伏、開城した。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐により北条氏が没落、関東の領主となった徳川家康の異父弟・松平康元が入城、関宿藩を立藩した。
以降は小笠原家、北条家、牧野家、板倉家、久世家と藩主を代え、明治4年(1871年)廃藩置県となり翌年に廃城となった。














