城の歴史
天正19年(1591年)下総山崎藩1万2000石の領主であった岡部長盛の築城と伝わる。
慶長14年(1609年)長盛が丹波国亀山3万2000石に加増移封となり下総山崎藩は廃藩となったため廃城となったと考えられる。
大正8年(1919年)の「稿本千葉県誌」に「堤臺城址=野田町大字堤臺字寺山にあり、報恩寺の地即ち是なり」と記載があるが、「野田町誌」によると「稿本千葉県誌」で書かれている報恩寺は「東寺山」にあったとされており、堤台城の場所を表す二つの文献には食い違いがある。
したがって、堤台城の正確な場所や規模を示す遺跡が発見されておらず、未だその詳細は不明である。






