城の歴史
平安時代末期に江戸郷を領した江戸重継が桜田の高台(後の江戸城本丸、二の丸周辺)に居館を築き、鎌倉時代初期にかけて武蔵江戸氏の居館となった。
長禄元年(1457年)扇谷上杉家の家宰・太田道灌が敵対する古河公方側有力武将の千葉氏を抑えるために本格的な城を築城した。
文明18年(1486年)冬、上杉定正が太田道灌を謀殺し、道灌の居城であった江戸城に拠る嫡男・太田資康を追放した。
江戸城は上杉氏の所有となり、上杉朝良が隠居城として用いた。
大永4年(1524年)高縄原の戦いで扇谷上杉氏を撃破した相模の北条氏綱は、上杉朝興の居城・江戸城を攻略、支配下に収めた。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐の後、関東に入封した徳川家康は江戸城を本拠とした。
慶長8年(1603年)徳川家康が江戸幕府を開府して以降は天下普請による江戸城の大規模な拡張に着手し、慶長12年(1607年)には五層五階の天守が完成した。
明暦3年(1657年)明暦の大火により天守を含めた城構の多くを焼失したが、経済的な理由と町の復興を優先した事から天守は再建されなかった。
万治3年(1660年)神田川御茶ノ水の拡幅工事が行なわれ、一連の天下普請は終了となった。
道灌築城時は比較的小規模で質素な城であった江戸城も、本丸・二ノ丸・三ノ丸・西ノ丸・西ノ丸下・吹上・北ノ丸の周囲16kmにおよぶ区画を本城とし、現在の千代田区と港区・新宿区の境に一部が残る外堀と、駿河台を掘削して造った神田川とを総構えとする大城郭に発展し、以後200年以上に渡って江戸幕府の中枢として機能した。





























