城の歴史
築城者や築城年代など詳細不明。
江戸時代に編纂された「新編武蔵国風土記稿」では猪俣小平太則綱の城跡とされている。
永禄5年(1562年)冬、越後の上杉輝虎(上杉謙信)は、北条・武田連合軍の攻撃を受けた武州松山城を救援するため出陣したが、永禄6年(1563年)2月に武州松山城は落城した。
武州松山城救援に失敗した輝虎は反撃に転じ、北条方の小田朝興が守る騎西城を攻め、出城の油井城も同時に攻撃した。
油井城の守兵は鐘を打ち鳴らし騎西城に救援を求めたが、騎西城も上杉軍本隊に攻囲され落城寸前で援軍を出せず、孤立無援となった油井城の守兵は甲冑や武器を丘に埋め落ち延びたという。








