Castle record

菅谷館

(すがややかた)別称:菅谷城

Castle information

菅谷館の基本情報

訪城時の記録をもとに、所在地・史跡情報・現地の見どころをまとめています。

所在地
埼玉県比企郡嵐山町菅谷
史跡指定
国指定史跡
現在の状態
本文・写真で現地の様子を紹介
主な遺構
土塁・空堀・水堀・虎口・城址碑
主な見どころ
土塁前に建つ城址碑と案内板/搦手の堀と土塁/搦手の土塁
訪城写真
17枚掲載
土塁前に建つ城址碑と案内板
土塁前に建つ城址碑と案内板

城の歴史

築城年代は不明。
鎌倉幕府の有力御家人で坂東武士の鑑と称された畠山重忠が大里郡畠山荘の館から鎌倉街道の要衝にあたる菅谷の地に移り居館を構えたのが始まりと伝わる。
元久2年(1205年)重忠が武蔵国二俣川で討死した後、畠山の名跡を継承した足利義純の子孫が菅谷館に入ったと伝わるが、15世紀後半に至るまでの詳細は不明である。
長享2年(1488年)山内上杉家と扇谷上杉家の須賀谷原合戦前後に、山内上杉顕定の命によって太田資康が菅谷館を再興し、長享の乱に敗れた扇谷上杉朝良を菅谷城に幽閉したという。
その後、16世紀前半まで山内上杉家の拠点となっていたが、天文15年(1546年)の河越夜戦以降は北条氏によって戦国末期まで使われ、小泉掃部助が城代となって守備していた。

土塁前に建つ城址碑と案内板
土塁前に建つ城址碑と案内板
搦手の堀と土塁
搦手の堀と土塁
搦手の土塁
搦手の土塁
三の郭
三の郭
三の郭水堀
三の郭水堀
二の郭土塁と空堀
二の郭土塁と空堀
二の郭空堀
二の郭空堀
外堀跡
外堀跡
主郭虎口
主郭虎口
主郭土塁と空堀
主郭土塁と空堀
主郭虎口に横矢を掛ける出枡形土塁
主郭虎口に横矢を掛ける出枡形土塁
土塁上から見た主郭土塁
土塁上から見た主郭土塁
空底から見た主郭土塁
空底から見た主郭土塁
三の郭復元木橋から見た空堀
三の郭復元木橋から見た空堀
三郭と西郭の堀に架かる木橋
三郭と西郭の堀に架かる木橋
三郭と西郭の堀
三郭と西郭の堀
三の郭櫓台
三の郭櫓台