城の歴史
元亀3年(1572年)松山城主・上田朝直の家臣・山崎若狭守が普請奉行となり、松山城の支城として築城された。
城主には山田伊賀守宗道が置かれたが、天正3年(1575年)に宗道が没したため、普請奉行を務めた山崎若狭守が城主となった。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐の際、豊臣方の前田利家・上杉景勝を主力とする北国軍に攻撃され落城した。
(はねおじょう)別称:宮前城
訪城時の記録をもとに、所在地・史跡情報・現地の見どころをまとめています。

元亀3年(1572年)松山城主・上田朝直の家臣・山崎若狭守が普請奉行となり、松山城の支城として築城された。
城主には山田伊賀守宗道が置かれたが、天正3年(1575年)に宗道が没したため、普請奉行を務めた山崎若狭守が城主となった。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐の際、豊臣方の前田利家・上杉景勝を主力とする北国軍に攻撃され落城した。