城の歴史
築城年など詳細は不明。
諏訪総領家の本拠・上原城の支城として機能していた。
天文11年(1542年)6月、武田晴信(信玄)は、諏訪惣領家に不満を抱く諏訪庶家の高遠頼継、諏訪下社の金刺氏らを調略により味方に付けると大軍を率いて上諏訪に侵攻した。
7月、兵力に劣る諏訪頼重は本拠・上原城を焼き払い、峰続きの桑原城に後退し籠城した。
一度は武田軍の撃退に成功し、武田軍は包囲を解いて後退したため、検分に出た頼重を目にした家臣や城兵は、頼重が落延びたと勘違いし、その多数が逃亡を始めた。
諏訪一門とわずかな城兵となった頼重は、晴信の妹婿である縁を利用して晴信に和睦を申し入れ降伏、弟の大祝諏訪頼高と甲斐府中に連行された。
和睦の条件で頼重の生命は保障されていたが、晴信は約束を反故にして頼重・頼高の両名を東光寺で切腹させた。
諏訪氏は滅亡し、桑原城は上原城とともに武田氏に接収され、廃城となったと考えられる。














