城の歴史
築城年代など詳細不明。
平将門が築城したとの説もある。
下総相馬氏の15代当主・相馬治胤が城主の時に5連郭からなる城郭に整備された。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐の際、下総相馬氏は北条家の支配下にあったため、治胤とその弟・高井胤永は兵約100名を率いて小田原城に籠城し、戦後に改易となった。
文禄2年(1593年)守谷領には土岐定政が入り、守谷城の改修に着手、城下町や寺社も整備した。
元和3年(1617年)家督を継いでいた土岐定義は摂津国高槻藩に加増移封となったため、守谷藩は幕府の直轄領となった。
しかし、定義が高槻で没し、その子・頼行が家督を継いだが、12歳と若輩であったため守谷藩1万石へ減封となり、守谷城に入った。
寛永5年(1628年)頼行は1万5000石の加増を受け、出羽上山2万5000石で移封されたため守谷城は廃された。










