Castle record

白井城

(しろいじょう)

Castle information

白井城の基本情報

訪城時の記録をもとに、所在地・史跡情報・現地の見どころをまとめています。

所在地
群馬県渋川市白井
史跡指定
市指定史跡
現在の状態
本文・写真で現地の様子を紹介
主な遺構
土塁・空堀・石垣・虎口
主な見どころ
城址案内板/北郭物見台/二郭虎口
訪城写真
11枚掲載
城址案内板
城址案内板

城の歴史

築城時期は不明、南北朝時代に長尾景忠が白井の地に入り白井・総社長尾家を開いており、長尾景仲の代に享徳の乱などの戦乱のため、白井城が築城されたと推定される。
白井城は、越後と関東を繋ぐ道路の隘路口に位置しており白井長尾家が代々支配していた。
長尾景仲の孫・景春が総社長尾家の長尾忠景と対立して山内上杉家に反乱(長尾景春の乱)を起こした際に、一時的に山内上杉氏の城になった事もあったが、ほぼ、白井長尾家の居城として機能していた。
大永8年(1528年)白井長尾家第7代当主・長尾景誠が家臣に暗殺され、総社長尾家の長尾憲景が白井長尾家を継いだものの勢力が減退、長野氏などに圧迫されるようになった。
山内上杉氏が越後に逃れると、白井城は山内上杉氏の名跡を継いだ上杉謙信の勢力下に入る。
永禄3年(1567年)3月、甲斐・武田信玄の西上野侵攻が始まり、吾妻郡の攻略を担当した武田家臣・真田幸隆・信綱によって白井城は落城した。
その後、白井長尾家が白井城を奪回するが、天正6年(1578年)3月に越後の上杉謙信が急死した後、上杉景勝・上杉景虎間で家督を巡る御館の乱が発生した。
天正7年(1579年)3月24日、相模国北条氏・上州武士の支持する上杉景虎が敗死し、上杉景勝は武田氏と甲越同盟を結んだため、長尾憲景は敵対していた武田家に身を投じた。
天正10年(1582年)3月、武田氏が織田・徳川連合軍の侵攻により滅亡すると、上杉憲景は後北条氏に属し、憲景死後に子の政景が城主となった。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐で松井田城を攻略した前田・上杉氏らの北方軍によって北郭を占領され5月15日に開城、白井長尾家の支配は終わった。
戦後、徳川家康の関東入封により本多康重が2万石で白井藩を立藩、白井城は藩庁として機能した。
その後は藩主が度々変わったが、元和9年(1623年)白井藩主の本多紀貞は嗣子無くして死去したため白井藩は廃藩、白井城は廃城となり破却された。

城址案内板
城址案内板
北郭物見台
北郭物見台
二郭虎口
二郭虎口
二郭空堀
二郭空堀
二郭空堀
二郭空堀
三日月堀
三日月堀
主郭虎口の土塁
主郭虎口の土塁
主郭虎口櫓台
主郭虎口櫓台
主郭空堀
主郭空堀
主郭空堀
主郭空堀
主郭枡形虎口石垣
主郭枡形虎口石垣