城の歴史
天文元年(1532年)沼田顕泰が沼田氏の幕岩城に代わる新たな拠点として築城。
北条氏や越後上杉氏などの支配を受け、天正8年(1580年)には甲斐武田氏の支配下に置かれた。
天正10年(1582年)甲斐武田氏が滅亡すると織田氏を経て真田氏の支配となった。
真田氏の支配下に置かれた後は、北条氏の侵略を度々受けるが、城代の矢沢頼綱はよく守り落ちる事はなかった。
天正17年(1589年)豊臣秀吉の裁定により沼田城は北条氏の支配下となり、城代として派遣された猪俣邦憲は真田領の名胡桃城を略奪、事態は小田原の役へと発展する。
天正18年(1590年)小田原の役の後、沼田城は真田氏に与えられ、真田昌幸の長男・信幸(後に信之に改名)が入城、慶長2年(1597年)に五層の天守閣を建造するなど、大規模な城郭整備を行った。
天和元年(1681年)沼田藩主・真田信利が改易となり廃藩、翌年に城は破却され廃城となった。












