城の歴史
嘉吉元年(1441年)~文安4年(1447年)にかけ、信濃御嶽城主・依田忠政が築いたと伝わる。
依田氏は忠政の子政知を経て光慶のとき、箕輪城主・長野業正の娘を室としてその片腕となり、天文7年(1538年)板鼻鷹巣城に移った。
後閑城には北条政時が入城したが、丹生城主・新田景純により攻められ滅亡、永禄10年(1567年)景純が後閑城に入城した後、「後閑」を称するようになったという。
天正18年(1590年)小田原の役では北条方の城として機能していたが、北条氏が滅亡すると廃城となった。
(ごかんじょう)
訪城時の記録をもとに、所在地・史跡情報・現地の見どころをまとめています。

嘉吉元年(1441年)~文安4年(1447年)にかけ、信濃御嶽城主・依田忠政が築いたと伝わる。
依田氏は忠政の子政知を経て光慶のとき、箕輪城主・長野業正の娘を室としてその片腕となり、天文7年(1538年)板鼻鷹巣城に移った。
後閑城には北条政時が入城したが、丹生城主・新田景純により攻められ滅亡、永禄10年(1567年)景純が後閑城に入城した後、「後閑」を称するようになったという。
天正18年(1590年)小田原の役では北条方の城として機能していたが、北条氏が滅亡すると廃城となった。










